プロフィール

南米ブラジルから海を渡り、日本で大衆演劇の勉強をし独立。
老人介護施設の慰問の際に頂いた心の響き、
その響きを皆様の心に届けたい、
舞台を観に行くことの出来ない方々の為に夢を届けたい、
そんな思いで結成された「歌踊演舞一座 響ファミリー」

艶やかな女形や迫力ある男踊りを始め、
早着替え、歌、和太鼓、三味線、数々の芸を次々と繰り広げ、
飽きる間もない構成に、時間があっと言う間に過ぎてしまうほどの満足感。

テレビ・CM・映画・ラジオにと
日本全国から公演の依頼が殺到しております。

響 彬斗
響彬斗は北海道旭川で生まれ2才の時にブラジルに渡りブラジルの学校に通いながら、花柳流の日本舞踊、助六太鼓、歌、剣道、三味線を習いながらブラジルで育った、太陽のような明るさいっぱいのブラジル日経三世。

ブラジルに住む日本人の方々に、魅せる舞台を観てもらいたい。そんな夢を抱き、18才の時に丹下清子さんの娘さん、丹下節子さんの紹介で単身で日本に帰国。

大衆演劇の沢竜二劇団に入団し修業を積むが、5年で劇団を退団。退団後は色々なアルバイトをして生活をしたが、ある方の紹介で老人介護施設での慰問を行う。

踊らせて頂いた際に、皆様から頂いた心の響きを切っ掛けに2005年10月10日に歌踊演舞一座「響ファミリー」を結成。

足立区に住みながら芸能活動を行いCDデビューも果たし、歌手としても活動を始める。カラオケDAM、UGAにもオリジナル曲が配信され、

各著名人の方々とも舞台で共演をさせて頂けるようになりました。響ファミリーを結成して15年。座長として、様々なメディアにも取り上げて頂き、テレビ・映画・ラジオ・本などにも出演しました。

この15年間の内には大変大きな東北大震災3・11もありました。その時岩田県の田野畑村にて、一真とともに被災しましたが2人とも無事に生還。悲惨な光景を目の当たりにし、沢山の亡くなられた方の為にも、

又、被災地に元気を届ける為、あの出来事を胸に、頑張っています。

今後も舞台人として、エンターテイナーとして奮闘する響彬斗がどう変わっていくか、どうぞご期待下さい。

響 悠嘉
響 悠嘉は静岡県藤枝市岡部町で生まれ育ちました。

今だからこそ落ち着きましたが、小さい頃からやんちゃで男の子みたいな性格でした。保育園の頃の話ですが、”クロンボ大会”というのがあって優勝した経験があります。 あまりにも黒かったのか地元に帰ると未だに”あんなに黒かったのに今じゃあ白くなっちゃって”なんて言われるんです・・・ それを言うなら”綺麗になっちゃって”でしょ!(>o<)って毎度の事ながら突っ込みたくなります。

小学、中学、高校時代はさておき、高校卒業後上京し、都内の信用金庫に入社するが、3年で退職。

退社後はドリフターズの仲本工事さんの付き人を始めCMやドラマ、舞台に出演させて頂きました。

彬斗や一真と出会うきっかけとなったのも仲本さんが沢竜二劇団にゲスト出演に行った北海道での公演の時です。初めて見る大衆演劇の世界に胸がドキドキしたことを覚えています。

5年間付き人をさせて頂いた私も仲本さんのもとを離れ、彬斗とともに慰問公演に参加。そこから新舞踊・和太鼓・三味線を習い始めました。

響ファミリーを結成後、CM・映画・カラオケ映像にも出演させて頂き、多くの芸能人の方々とも同じステージを踏ませて頂いております。

現在は5人の子を持つ母として、響ファミリーを支えながら、舞台に子育てと奮闘しています。

これからも皆様に喜んで頂けるようにお稽古もしっかり頑張りますので応援してください(^-^)y 宜しくお願いします

響 一真
響一真は響彬斗の弟でブラジル・サンパウロで生まれ育ち、小さい頃からコロコロとしていて皆からよく頬をつねられたり、リンゴみたいと噛まれたりしていました。 それが嫌でいつもいつも逃げ回っていました・・・(TAT)

4歳の頃から花柳流日本舞踊を習い始め、6歳から剣道、歌そして助六太鼓・8歳から三味線と色々習い事をしてきました。

ブラジルでは兄と一緒に和太鼓のショー、芸能祭や踊りの会の舞踊披露など行ってきました。

兄が日本に来て2年たってから僕も日本に来ました。
ただ遊びに来ただけだったのですが、兄が入団していた劇団を観に行ったらいつの間にか劇団に入っちゃってました・・・
そんなつもりは無かったのですが色々と勉強が出来たので良かったと思っています。

兄が、響ファミリーを結成する頃に、劇団を退団、兄、悠嘉とともに響ファミリーに参加。

CDデビューや映画・テレビ・CMなどにも出演させて頂き、多くの芸能人の方々とも同じステージを踏ませて頂いております。

無口な僕ですが、これからもこの日本で、もっと腕を磨いて兄を超えたいと思っています。 皆様応援して下さい!